♯13
- かごしまジョーKAGOSHIMA JO
- 豪快なのにちょっぴり照れ屋。
情熱的で何事も
まっすぐ突きすすむ。
スイーツに目がない。
好きな食べ物:白熊
- 鹿児島県「鹿児島城」
- 画像提供元クレジット:鹿児島県観光・文化スポーツ部文化振興課提供
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- 別名:鶴丸城
- 所在地:鹿児島県鹿児島市城山町7-2
- 築城年:慶長6年(1601年)頃
- 築城者:島津家久
鹿児島城跡は,慶長6年(1601)頃に島津家久によって築かれた島津氏の居城です。城は,背後の城山の山城部分とその麓の御殿作りの屋形部分からなる平山城で,海まで広がる広大な城でした。
鹿児島城は1863年の薩英戦争で砲撃を受け、1873年の火災で本丸が焼失。さらに1877年の西南戦争で二の丸の建物も炎上するなど、幕末から明治期にかけて甚大な被害を受けます。当時の城の建物遺構は残っていませんが、本丸部分の石垣や御厩跡(私学校跡)の石塀には今でも西南戦争時の弾痕が確認できます。
西安戦争の最後の戦場になった山城部分である城山では,城山展望台からドン広場周辺の周囲には土塁が広がり,その上には明治十年薩軍大本営跡の石碑が立ちます。また,西郷隆盛が最後にこもった西郷洞窟や西郷隆盛終焉の地など,西南戦争関連の史跡が残っています。西郷軍が城山に立て籠る中、1877年9月24日政府軍は城山総攻撃を開始。銃弾を受けた西郷は、城山を下った場所で最期を迎えたといいます。まさに幕末動乱の世を見届け、薩摩の志士たちの想いが眠る城なのです。