♯26

せきすいジョーSEKISUI JO
郡上おどりの先生。
念には念をいれるタイプ。
白川郷で昼寝を
するのがお気にいり。
好きな食べ物:栗きんとん
岐阜県「郡上八幡城」
画像提供元クレジット:(一財)郡上八幡産業振興公社
  • 別名:八幡城、積翠城、郡城、虞城
  • 所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
  • 築城年:永禄2年(1559年)
  • 築城者:遠藤盛数

1559年、郡上領主である東常慶と遠藤盛数との間で「赤谷山城の戦い」が起こりました。その際に、盛数が構えた陣の場所が郡上八幡城の創始です。その後、盛数の子どもの遠藤慶隆が郡上を統一し、城や城下町を建設しました。1588年には稲葉貞道が領主となり、高い石垣の整備や天守台などの設置を行い、本格的な山城として改修をして旧態を一変させました。

1600年9月1日。八幡城をめぐって、遠藤慶隆・金森可重連合軍(東軍)と稲葉貞通軍(西軍)との間で「八幡城の戦い」が起こり、「関ヶ原の戦い」を通して遠藤慶隆は八幡城奪還に成功。その後、1667年に慶隆の孫の常友は、城下町や城の大改修を行い、幕府より名実ともに城主として認められました。

1871年、廃藩置県により郡上藩は廃藩となり、9月に知藩事である青山幸吉が東京に出立し、郡上八幡城は廃城しました。石垣だけを残して、他は取り壊されてしまいましたが、1933年に大垣城を参考に模擬天守として造られました。1955年に全ての石垣が「岐阜県指定史跡」に指定され、その後1987年に木造4層5階建ての模擬天守は「郡上市有形文化財」に指定されています。

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